2015年10月27日

自由の森学園・学園祭

 行ってきました。自由の森学園学園祭。西武線飯能駅からスクールバスで15分の山のなか。小高い丘のうえにいくつもの棟とりっぱな体育館。 後夜祭のためのねぶた制作に余念のない高3生。鳥獣戯画を模した大作、カーブラインのほねに紙を貼って立体をつくるってなかなかにむずかしいのに、よくできてる。
  それにしても、どの子もかわいい。中学生高校生がおなじ空間にいっしょにいて、いっしょに学園祭をつくっている。父兄がつれてきているもっとちいさな子たちもいて。渾然一体、うごきまわり、あかるい話し声がそこここでひびいている。へんな雑音がない。 
 つめたい風がピューピュー吹きすさんで、キャンプファイアや紙風船、熱気球があげられない。今年は夏休み中もがむばって、例年より大きな熱気球つくったんだけど、あまりの強風に危険信号。実行委員長の女の子が、ステージのうえから事情をせつめいする。
  さあ、ねぶたをはじめよう。4台のおおきなねぶたが担ぎあげられ、はねまわる。 みんなで、運動場いっぱい、おお太鼓とラッセ、ラッセのかけ声で、はねまわる。くらいなかにぽうっと明かりのともったねぶたの幻想的なうつくしさと躍動するわかいエネルギー。 こりゃ〜、もりあがりますわ。
  ステージのうえには、ふたたびギターやドラムのフルバンド。そして、実行委員会の面々がステージのうえに。したからかかるやんややんやのかけ声が、仲のよさをしらしめる。
  合唱のじかんがはじまった。あの、あの、です。まじって、すっかり自森の生徒気分になって、うしろの男の子たちのよくとおる声が歌詞をおしえてくれて。大声で唄い、おどり、大感動でした〜!  最後のフィナーレは、なんと大空いっぱいにひろがる花火!みんなでみあげる花火。
  中高6年友愛とともにすくすく育つ。社会意識のたかい子も多そうで、ふつうにじぶんのことばを語り。なんたって、やさしい! やさしさを唄うこどもたち。希望のほしたち。あたたかくむかえてくれて、ありがとう☆ 感謝します。
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2015年10月08日

ムーミン屋敷@あけぼのこどもの森公園 in 飯能埼玉

  きもちのよい秋晴れがつづいています。 昨日は、以前からいってみたかった「あけぼのこどもの森公園」@埼玉・飯能に。 敷地自体はそんなにひろくないのですが、地元でとれる丸太材や珪藻土ほかでつくられた「ムーミン屋敷」が最高でした。 ゆうがたともなれば、オレンジにひかる雑草や木立がとてもうつくしく、秋ならではの澄んだ風にあそぶトンボたちもいて、よい日でした。 昨秋の秩父札所めぐりをおもいだして、今年もすこしまわろうかとおもいはじめたところ。

  設計された村山先生の哲学がすばらしい。http://www.murayama-arch.com/kukan/kukan5.pdf
http://www.murayama-arch.com/philosophy.html
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2015年10月05日

Life-Art-Process@Tamalpa Institute / 表現アートプロセス

https://www.youtube.com/watch?v=4EwJmQArYv4
 アナ・ハルプリン、孫とおどる95歳のダンス@ホームスタジオ。
サンフランシスコからゴールデンゲートブリッジをわたったマリン郡、タマルパイアス山麓、木立に囲まれたウッドデッキ。 アナ&ダリア母娘とダンスし、ライフ・アート・プロセスした日々。思い出のウッドデッキ。
変わらない。 アナのように、人生をおどりつづけたいなぁ。
*******

  アナは、モダンダンスの先駆者で、サンフランシスコ・ダンスカンパニーを創った。夫は、ローレンス・ハルプリン。モダン建築家。そういう両親のもとにうまれたダリアはデニス・ホッパーと離婚後、ゲシュタルト・セラピーの創始者フリッツ・パールズの弟子となり、アナと和解し、ふたりで、タマルパ・インスティテュートを創る。表現アートセラピスト、ダンスセラピスト、ムーブメントセラピストの養成研究所。学生は、毎日朝から夕方まで、うえの映像のウッドデッキあるいは床暖房のある室内ウッドフロアで、ダンスし、絵を描き、ジャーナルを書き、話し合うということをする。最初のテーマは、Who Am I? 生育歴や家族関係をじぶんのからだや絵を描くこと、ことばにすることなどを通してプロセスしていく。わたしの在籍時、ヨーロッパからの留学生が多くて、特にドイツは政府が奨励して学費をだしていたので数がおおかった。オランダ、スイス、スエーデン、イギリス、それぞれの国の特色がよく観察できてよいまなびだった。

  今日から香港でひらかれている「国際表現アートセラピー学会」で友人がプレゼンテーションをするというので、昨日、電話でいろいろ日本のことを話していた。 表現活動はじぶんのなにかがふくらんでふくらんではっきりして、もうそとにおしだされるようにしてあらわれてくる。 小学校からの軍隊教育(右にならえで、ひとと同じ姿勢態度を強いて、一声命令すると文句もいわず従うような身体性思想性価値観を鍛えていく)で抑圧された身体性や感性。 明治維新からの生活様式の変化や政治的な影響などなど、日本のことをどうつたえるか。 しかも、開催場所は香港! ひとの温度が高いらしい。 じぶんにできることからやっていこう!

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2015年09月09日

カラダと意志

じぶんのおもさを大地にあずけながら
 ゆすふると
大地のチカラがはいってきます。

 大地に根ざしながら
天へと柱をたてる。

 意志がはっきりしてきます。
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2015年09月06日

夏のおわりの合宿

 昨夜おそく、合宿から帰宅しました。 
  野口体操と竹内レッスン三昧。 
宮沢賢治作「鹿踊りのはじまり」の世界は、ほんたうにステキで、
りっぱな鹿がしぜんのうつくしさや力づよさに、畏敬の念をもって歌うシーンで、
また一皮むけたような体験をしました。

  宿泊先が三浦半島の先っぽのYMCAで、
海がちかくて、波に足をあらわれ、砂浜にくすぐられ、
ひろびろした空、ふしぎな雲、とんび、レトロな建物の妙に、リフレッシュしました。

 この転機、この充実感でもって、すすんでいきます。
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2015年07月20日

Summer time has come !


  ジッと待っていると、極まるトキが、かならずやってくる。

 そこもまた動かず、つかずはなれず、

 ただ観ているようで、ただ随うのみ。
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2015年07月19日

立て、ちいさきひとよ。 

等身大のからだ感は、よいんだけれども、もともとがおちびちゃんなのが、しみじみかなしいような ...。
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2015年07月16日

ミライをまもれ。

07/15/2015 国会議事堂周辺、規制されつつのぎっしり人の波、あつくひたひたと飛沫をあげて、いまや魑魅魍魎の巣窟と化したかのような白亜のたてものにうちよせ、声をあげていた。
 さまざまな服装の、いろんな地域からの、いろんな職場からの、家庭からの老若男女がぞくぞく、集まってた。
その多様さこそが、ミライをまもる希望なのだとおもえた。

 祈りたいのは、警備している警官のなかから、デモ隊に共鳴共感し、転職あるいは、職場内でねばりづよくはたらく人が現れること。おなじ時代のイノチを生きているのだし、隣近所の兄さんが、たまたまああいう職についているということだってありうるわけで。

 ひとりひとりがいろんな歴史背景をせおって生きている。
おなじ時代のイノチを精一杯生きていることを忘れてはいけない。
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2015年07月08日

カラダ 2

めざせ、足裏に肉球、何個?

足裏の津々浦々に、ちいさな肉球をかんじてみる。
その感覚に集中したまま、うごく。

日々の暮らしのなかで
腰のカンジ、肩・くびのカンジ、ひざの中身を(ただ)かんじながら。
何度も、そこにたちかえる。
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2015年07月07日

カラダのこと 1)

 ここ二週末つづけて、武術系の人がやっているカラダ系ワークショップに参加した。気功はかつて、教室をやっていたし、新体道は稽古に参加していた。説明しがたいことをいかに工夫して、ひとの興味を喚起し、届けるか。

 からだのことばは動物のことばのように思ってもらうのもいいかもしれない。犬や猫のすきな人は、かれらの言いたいことや感じていることがわかる。すきなので、自然によく見るし、耳を傾けている。できれば、さわりたい。こわごわだったり、ドキドキしながらだったり。相手のペースによりそって。
 すでに飼われている動物たちはこちらよりはやく、いろいろ察知して、よりそってくれてることの方が多いようだけども。

 ああ、でも、からだもそう。あたまの言葉よりもはやく状況やミライを感じとっている。にもかかわらず、そこにいて、よりそってくれている。

時間ぎれ。人間性回復からヒューマンポテンシャル、そして意識革命からシステム変革。なんてこともいつか。
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